医療気功教室  4月期  期末食事会

 

毎期末に食事会を設け、各自の今期を振り返っての感想及び、玉木先生との質疑応答を行っています。

  

【今期の感想】

  

♢気功を頑張って一生懸命しようとしている事で体の免疫力が強くなってきた。菌を殺す薬を使わないで症状が抑えられているのは研究に値する、と言われたので嬉しく思う。

 

♢5月に腰痛が再発し老人会の発表が中止になったが、気功の紹介をするつもりでホームページ等でいろいろと調べた。説明を聞いたり教科書を見たりするだけでなく、自分から説明しようとすると自分の知らなかった事が分かった。また勉強していこうと思っている。

  

PSA検査の数値が下がった。医師に下がった理由を聞かれ、薬は飲んでいない、気功、ジム、R1を飲んでいると答えた。影は映るが大きくならない。気功のおかげと自分では感じている。常に意識して気持ちをもっていっているのが功を奏している。

  

♢今期は思うところあって軟酥観は椅子に座ってやっている。椅子に座る意識がきて固定されているイメージがとれなかったが、何回かで心自由にいつも通りになった。体の下はちゃんとあるが上は形がなく光の空気の中に浮いている感じで幸せ。家では忙しく時間かけて取り組む暇はないが、ちょっとだけと思ってやっている。教室にきたら気持ちよくやらせて頂いている。

  

♢体調が良くなく針治療にいっている。全身病んでいると言われ、針で血液の流れを良くしながら自分の気も流れるようになればいいと思い、医療気功に参加させて頂いた。子供の手が離れ時間がとれるようになったので頑張って続けていきたい

  

♢4月に入会し、まだまるっきり分からない。一応健康。邪気、邪念でいっぱいな人間。いつか金色の光に包まれたい。

  

♢入会4ヶ月経ち、動きもついていけるし、先生の話も楽しく聞いている。まだはっきり分からないのでもっと続けて確信したい。

  

 ♢病気を治そうと思い気功を始めたが、今は気功そのものを一生懸命やろうという気分になった。おかげさまで、元気になった証拠だと思う。意識と無意識の間という認知脳科学の本で、人間はぼーっとしている時にこそ記憶を整理したり脳の活性化をもはかっているという学説を読んだ。気功もそうなのかもしれない。気功で頭の中を空っぽにすること難しい。雑念になってしまう。ぼーっとしながら何か考えるのも悪くないのかなと軟酥観をやったら、確かにそんな感じで面白いと思った。余り知識優先や根拠ばかりを求めるのは良くないので、シンプルに気功を一生懸命やっていきたい。

  

♢もうすぐ3年。家でも手を始めた。分かるようになろうとするのは止めようと思った。感じようとするのを諦め、つもりでいこうという気持ちになった。全てに関して意識のレベルが表面意識から中に入っていかないがしょうがない。自分が気持ち良くなればいい。気功にくるのが楽しい。確かに元気になったので、これからも続けていきたい。

  

♢今期は気功を通して自分の体をちゃんとみていこうと思った。日常の中での自分はまだまだ元気だったが、気功を通してみると6~7割の余力を残したぐらいが良かった。おかげさまで、体調崩さずにやってこれた。気功で邪気を捨てた中で自分をみていくことが大切。自分の悪いサイクルでもう少し出来るかなと欲が出てきているので、気をつけていきたい。

  

♢気功始めて3年。気功は、何となく先生に勧められたが、やらない時の自分には分からないやった良さが分かってきた。気功をやると空になる状態が分かってくる。やらないと分からないスッキリさがある。教室に半年来れなかった時は、体の重さ、自分の抱えてる荷物がいっぱいいっぱいの状態だった。やらないと、やっぱり必要だったと思うのが自分にとっての気功。今は、教室にこれなくても家でも出来る安心感になっているので、続けられるだけ続けたい。

  

♢父が亡くなりいろいろあり、医療気功に興味がそそられた。考えずにやってきた。考えると疲れる。性格的にまっいいかと思うところがある。継続は力なりは絶対的なもの。続けていると必ずいいと思っている。最近、気を感じなくなっている。集中できてないわけではない。続けていくうちに答えは出てくると思っている。続けていけば、自分なりの生命力とかがアップしていくのではと思いやっている。

  

♢父が亡くなり、思い出の会に参加した。嫌な気は受けずにすがすがしい感じがして、来て良かったと思ったが、夕食の支度で手が出来ず、翌朝起きられなかった。良い話が多かったが、人の気を真正面に受け止めた。手は基本、大事。人の話を聞いたり、人の気、思い、を手で祓った方が良かったと身に染みた。

  

♢心臓の悪い主人が結核になり、免疫力がなくなったと本気で気功を始めた。精神的な面で落ち着いてきて良かった。最近、自分で見たことに勝手にイメージをのせて決めつけていた。昔から人が怖いと感じていたところ。それが妄想だと思えたら気持ちが楽になって、人間関係も自由に人と話すことが出来るようになった。気功でいろんなものをそぎ落としてきたからこそ、そこが見えてきた。良いものも悪いものも全部捨てるということを改めて実感した3ヶ月だった。

  

♢気功教室のDVDをじっくり見てみた。先生の動きが本当に柔らかく、美しく、きれがある。今まで一緒にやっている時は分からなかった。見たら武術のようでもあり。目から鱗。自由だけど所作が美しい。

  調身、調息、調心を究極にやっていくと、きれいな美しい形になる。そぎ落としてやっていくとそうなるのだと、見るだけですごい発見をした。

  

 

【質疑応答】Q : 受講生 A:玉木先生

  

Q:軟酥観で貧血みたいになり冷や汗で立っていられないのは何故か?

   元々貧血、脳卒中気味で立ちくらみがおこりやすい

 

 A:軟酥観は全身の血管が緩んでくる。脳貧血気味の人はスーッときてしまうかもしれない。

   椅子に座ってもいいし、寝ながらでも良い。やっているうちにだんだん慣れてくる

  

Q:三線放鬆功で座っているとふうこうを腿につけるのが難しい。どうしたらいいのか?

 

A:緩めるのが主体。最初は腿につけていて姿勢が辛くなったら楽に緩めていって構わない。自由過ぎず、縛られ過ぎず。ある一定の形にはまってみるが、そこの形にもとらわれずに少し緩めてみる。最初から自分勝手にやっていたら気も貯まっていかない。ある程度形に合わせていく。合わせて苦しくなったら少し緩めていく。糸の張り方をピーンと張り過ぎずに、余り四角四面に考えずに。緩めるからと余りにも、いい加減にしてしまうと、貯まる気も貯まらなくなってしまう。

  

Q : 三線放鬆功で、緩めると思うと息が吐けなくなってしまう。加減が分かっていないのか?

 

A:最初から上手くいく人はいない。最初は意識すると、緩んでいたものまで緊張してしまうことがある。やりながら工夫していくと、その時の姿勢で違うのかなとか、前傾、後傾、肩が前に出ている、後ろに出ているとか、ちょっとどこかを緩めたり変えてみると、同じことが苦しくなく出来たりする。微調整してやってみる。その感じでやってみて、外から見て余りにも変なのかどうかインストラクターに聞いて頂くと良い。

  

Q : 三線放鬆功を座ってやるのが難しい気がする

 

A : 座って難しい方もいるし、立っているのがしんどい方もいる。今は椅子だがマットで座禅みたいな

     形で座って頂いても良い。それがしんどい方はマットに寝ながらでも良い。最初は慣れていく為に疲れるし筋肉痛があったりも

       する。

  

Q:三線放鬆功を立って、座って、寝てやるので効果の違いは?

 

A:原則は立ってやる。立ってやった方が良いが、立ってやるとしんどい方や、ふらつく方は危険だから座ってやって頂く。

 

Q:軟酥観の金色の光のイメージは?電球の光なのか、雷が落ちてくるような閃光の光なのか?

    悩んで意識が止まってしまう。一本の線が入ってくるイメージをもってしまう。

 

A:無色透明な白い光だったり、太陽光とかダイヤモンドの光が入ってくるイメージでも良い。一本の線というよりは、太いものが入ってくる感じ。太いものが頭のツボの百会から入ってきて全身を満たしていく。収斂(しゅうれん)(こう)(かん)というが、自分の中に宇宙の光みたいなものを取り込んでいって、今度は自分とその取り込んだものの融合したものを外に広げていくような感じ。虹色の光だったりそれぞれの好きな光や色があるので、イメージとして意識しても良いし、入ってきたものをそのまま受け止める感じでやっても良い。イメージしてやる時とイメージしないで、入ってきたものをそのまま受け止めるのと両パターンがある。雷の閃光はきついので人間が見える太陽や月、空からくる光系のものぐらいにしておくと良い。余り宇宙をイメージするとブラックホールまで吸い込んでしまう。自分の器に合うもの。余りにも大き過ぎるもの入れると体も壊れてしまう。今の自分の体にとって丁度いい光。ほっといて無になっているとその人に丁度いい光が入ってくる。無理やり何かを入れようとは思わなくて良い。

 

Q:自分の健康状態が改善されている。自分が病気だと意識していない。

 

A:病気だと忘れるぐらいの頃に治ってくるとよくいう。意識と心と体は連動しているので、体は自分の意識でどうしようもないけれど、意識はある程度変えていく事は出来る。意識を変えて心が変わり体が変わる。意識がなかなか変われない時は手を振ると動作で変わっていく、呼吸法で変わっていくのが気功の醍醐味でもある。

 

  

【玉木先生のお話】

 

 教えることは学ぶことでもある。教えようと思ってみると、分かっているようで分かっていなかったり、聞いた言葉も受け売りで、咀嚼していなかったと、分かったりする。教えるというのは、他人じゃなくても、自分に自分が教えることもできる。賢い自分が、まだ賢くない自分に教えながらやっていく。また教わる側の気分と、自分でも教える時にどこが分からないのかなというのを意識すると、質問も活発にインストラクターの先生に向けていける。誰かひとりが思った「これはどうなのかな?」は、案外皆共通に思っていて気付いていないとか、こんなこと些細なことだからと思ったり、今さら聞くのもと言えなかったりすることもあると思うが、今さらということはないので、いつでも気付いた時に、気軽に聞きながらやって頂けたらいいと思います。

   瞑想法としては、何も考えない無念無想や、阿字観のようにあるものに集中してみるというのがあるが、もうひとつ分析的瞑想というのもある。どうしても無になれない考えてしまう人は、三線放鬆功の通常の雑念の無い中で、例えば今の自分はどうだろうとか、いつもの懸案事項、保留にしているものを静かな心でゆるく考えていくと、何かそこでいつもではない脳が回って、脳がいろんなものをキャッチしながら答えを出してくれる。例えば気功の中の疑問でもいいし、日常生活の疑問でもいいので、そうゆう瞑想を、繰り返し繰り返しやっていくことによって、脳が開けてくる。脳が開けてきてキャパが広がると、また受け入れられるものが多くなっていく。自分自身を器だと思って頂くと、器が伏せていれば、いくらそこに良い気があっても入ってこない。器が開いていれば、たくさんいろんなものが入ってくる。またその器も汚れていると、汚れたところに入った水は飲めない。また器に穴があいていれば水を入れても入れてもだだ漏れしてしまう。自分の心が傷ついて何処かに穴があいていないか、汚れていないかということを意識しながら、綺麗な器で気功教室に来て頂いて、たくさんの良いエネルギーを器にいっぱい入れて日常生活に活かして頂けたらと思います。

 良い事を聞いたのに気が重くなった。について

  良い事、悪い事も人間の分別だったりする。良い事でも悪い事でも、とにかく捨ててみる。手が全ての基本、全ての出発である  ので良い事に囚われてもいけない。脳で良い事と思うけど、そうでないこともあったり、良いと思われる事の中にも、何かいろんな雑念が入っていたりすることもある。悪い事と思うことも一元的で、裏側から見ると、その悪いと思っていることが巡り巡って、そう悪くもない事だったりする。良い悪いを考えずに捨てれるのが気功。

   頭の中を空っぽにするのが得意な人はそのままで。空っぽにならない人は、ならないことを余り意識せずに吹っ切ってやっていって下さい。自分なりに意識してやってみると良いイメージが湧いてきたリ、こうやってみようかと湧いてきた感覚で気功をやってみると、何か答えが出てくることがある。次はこうやってみようかと、自分自身の中で自問自答しながら膨らませていって頂けたら良いのでは、と思います。